残業80時間で労働基準監督署立ち入り調査へ【日本の雇用慣行と長時間労働の視点から産業医が思うこと】

2016-03-24

長時間労働と産業医

今朝の日本経済新聞の1面は、政府は長時間労働抑制のため、労基署が企業への立ち入り調査を行う基準を月100時間以上から、月80時間以上へ引き下げるという記事でした。

このように、長時間労働を始めとした労働者の健康に対する意識は、行政においても、そして社会一般においても年々強まっており、企業としてもしっかり対応しなければならない状況になっています。

 長時間労働をさせないことに越したことはありませんが、万一長時間労働をさせた場合の産業医面談はちゃんと行っていますか?

 名義貸しの産業医では、企業責任を到底果たせない時代になりつつあります。

産業医活動をしていて感じますが、「産業医に毎月会社に来てもらっていない(名義貸しの違法状態)のは、まずい!」と気付き、しっかり働いてくれる(最低限、法定の義務事項は確実に行ってくれる)産業医へ切り替える企業も増えてきています。コンプライアンスが企業存続に必須である現代においては、当然の対応と言えるでしょう。

 

日本型雇用と長時間労働

様々な所で主張されていることですが、戦後の高度経済成長を支えた日本の雇用慣行は、人口構造の変化(少子高齢化、労働人口の減少)、女性の社会進出と共働きの増加などにより、限界に近付きつつあるのかもしれません。

日本型雇用慣行とは、つまりは年功賃金・終身雇用ですが、それは労使の双方にとってメリットがあったから数十年も続いてきたのです(どちらかにしかメリットのないもの、たとえば経営者側のみにメリットがあり労働者を搾取するような制度では、このように日本中に広がり何十年と続かないといえます)。

それぞれのメリットを、いくつか上げてみます。

労働者側のメリット
①    終身雇用なので、生活が安定する。
②    年功賃金なので、家族の出費(子どもの養育費・学費等)の増加に沿うように賃金も上がっていき安心。

使用者側のメリット
①    終身雇用なので、従業員の教育へかけた費用が、企業内の見えない資産として蓄積し、企業の競争力へも繋がり易い。
②    雇用を保障する分、強力な配転権を持てるので、企業状況の変化に応じた柔軟な配転が可能。海外への転勤命令を出したり、その人の今までのキャリアとは全く無関係な仕事への異動も(本人が嫌がったとしても)命令OK。
③    業務量が増えた際には、人を雇用し増やして対応するのではなく(終身雇用なので、一旦雇うとコストが高いため)、すでに居る人員の仕事量を増やして対応(=残業)する。そのために、企業は残業命令権をもっており、日本の労働法の残業規制は非常に緩いとも言われる。
④    終身雇用なので、家族的忠誠心が労働者に生じやすく、一致団結して働く日本人には向いている。

 

このようなメリットが労使ともにあったため、日本型雇用慣行で日本は戦後、高度の経済成長を成し遂げることができたのです。

 

長時間労働と共働き夫婦

しかし時代が変わり、女性の社会進出・共働きが増えた今、メリットよりもデメリットの方が目に付くようになりつつあります。

特に問題となるのは使用者側メリット③であげた点です。
つまり、日本型雇用慣行は、「夫は、必要に応じて長時間残業をして当然。妻は仕事をせず、家庭内のこと(家事や子供の教育)を担当する。それにより、家庭がうまく回る。」というのが前提と存在します。すなわち極端に言えば、24時間戦うジャパニーズビジネスマンと、内助の功で夫を支える妻がセットでないと、成り立たない(又は家庭内に大きな歪みが生じる)制度なのです。

共働き夫婦がこれをやると、家庭への影響が大きい(子供と関わる時間がほとんど取れない、家事ができない、場合によっては単身赴任を命じられ夫婦が離ればなれになり、シングルファザー、シングルマザー状態となる等)ため、妻がフルタイム正社員で働くことをあきらめること等に繋がってしまいます。

また、なんとかがんばって正社員として勤務しても、”妻が専業主婦だから家庭のことは心配せずバリバリ長時間労働できる男性社員”と同じ土俵で戦わなければならないことや、残業する同僚を横目に保育園のお迎えのため退社しなければならない心理的負担等、大変なことが山のように存在します。私は産業医として、そのようなジレンマに直面し苦悩している方々をたくさん見てきました。

また、子育て世代に限ったことではなく、近年の若年層においては、家族との時間や自分のプライベートの時間を犠牲にしてでも長時間働いて、会社に貢献するという価値観は薄れつつあると感じます。
1980年代には、リゲインのCMで時任三郎さんが「24時間戦えますか。ジャパニーズビジネスマン~♪」とビジネスジェットのタラップで高らかに唄っていたのに対して、昨年のリゲインのCMではタレントのすみれさんが「24時間戦うのはしんどい。3、4時間戦えますか♪」とゆる~く唄っていたのは非常に象徴的だと個人的には思います。

そういう意味でも、昔からの日本的雇用慣行と若者の価値観には、乖離が生じつつあると言えると思います。

 

長時間労働は企業にとってメリット?

政府が長時間労働に対し指導をするのは、健康障害を防ぐという目的は当然として、子育て中の女性等でも働きやすい環境を作り、労働人口が減少する中でも日本の経済的競争力に繋げていく目的もあるのだと思います。しかし、労基署による指導を強化しても、新聞の記事の一番末尾の締めの文章にもある通り『法改正による規制強化などは見送る』としています。

それはなぜか?
長時間労働が健康にも良くないことは分かっていて、「日本の法律においては、長時間労働は適法にさせ放題」という批判もあるなか、なぜ法により規制しないのかと思われるかもしれません。

しかし、一部の企業からすれば、長時間労働を適法に行わせることができる現在の法制度は、いわば生命線ともいえます。

というのは、企業は終身雇用(→よって、解雇は非常にハードルが高い。市場縮小、業績悪化等で余剰人員が生じてもリストラは難しい)、年功賃金(→ミドル・シニア層で仕事の成果を出せない人がいても、成果に見合わない高い給与を支払う必要がある)というコスト・デメリットを受け入れ正社員に非常に強い特権(雇用の保障。年齢に応じて賃金は自動で上昇。)を与える引き換えとして、正社員に対し必要な時には長時間労働をさせる権利を得ているともいえるからです。

正社員の残業を法で規制するとなると、企業としては、「残業規制で溢れた分の仕事は、雇用調整のしやすい非正規を大量に雇ってカバーします。コストの高い正社員は雇えませんので。忙しい時期が終われば、非正規社員とは契約終了です。」、「長時間労働をさせる権利を法によりはく奪されるなら、職能給というフィクション、終身雇用・年功賃金もやめる方向で社内制度を見直します。それが公平というものでしょう。長時間労働と終身雇用・年功賃金はバーターなのですから。」という方向に向かう可能性もゼロではありません。
そうなれば、非正規社員が増え、雇用も不安定化する等、政府が目指す方向とは逆になるかもしれません。

 長時間労働を法で規制することは一見100%正しいことのように思いますが、長時間労働というのは、様々な要素が複雑に絡み合い天秤のように釣り合い・バランスを取っている労使関係における一要素であるので、長時間労働だけを取り除けば社会が良い方向に向かうものではなく、天秤全体のバランスを見ながら慎重に対応しなければならないものなのです。

(ここで問題にしているのは、労基法違反とならない適法な時間外労働であり、残業代未払い・36協定違反となる違法な時間外労働は論外です。また、念のため申し添えますが、弊社の意見として適法な長時間労働を推奨する趣旨ではありません。労基法上適法であることと、安全配慮義務上・健康管理上問題が無いことは別の問題だからです。)

余談ですが、最近話題の同一労働同一賃金についても、これと同じような複雑な事情、つまり、既存の雇用制度とどう調和させていくのかというのが、大きな論点でもあるのです。
「同じ仕事をしてたら、正規でも非正規でも同じ賃金」というのは一見100%正しく公平なように見えますが、正社員はいつでも会社からの配転命令に従わなければならない(もしかすると明日、アフリカに単身赴任の辞令が出るかも知れない)等の、目に見えない負担を実は背負っており、同一労働とは何かを定義するのは非常に難しいのです。

 

日本の雇用慣行が、今後どのようになるのかは私には全くわかりませんし、どのような形が良いのかもわかりません。ただ、歪みが生じつつあるのは確かであり、様々なところで議論が行われ、国民の声も取り入れ、法改正等に繋がっていくのかもしれません。「保育園落ちた日本死ね」のように、匿名の一市民の声が国会での議論に繋がる時代でもあります。 

また、法規制・改正を待たずとも、多様な働き方を受け入れることができる社内体制を作ることは、優秀な人材確保につながるため、企業は自主的に社内制度改革に乗り出すかもしれません。ただ、昨年話題になった「資生堂ショック」という言葉等に代表されるように、どのような制度設計が良いのかは非常に難しい問題でもあります。

雇用のあり方というのは、労働者の労働衛生にも大きく関わってくることでもあるので、産業医としても常に注目している次第です。

 

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