【コラム】産業医が診断・治療しない本当の理由 ~主治医との違い~
人事労務担当者様から産業医への相談
産業活動をしていると,時々人事労務担当者の方から,「調子の悪そうな従業員がいるから診断して欲しい。」「診断書を書いて,休ませて欲しい」と頼まれることがあります。その際には,私から「産業医は診断も治療もしませんので,とりあえず私が従業員と面談して,病気の可能性がありそうだと感じたら適切な医療機関を紹介します」と回答しています。
一昔前は産業医も診断・治療していた
一昔前は,大きな企業であれば工場やオフィスの中に診療所があって,そこで産業医が高血圧等の生活習慣病を中心に治療も投薬もしていることがありましたが,最近ではなくなりつつあります。
その理由は,診療所の運営コスト等の理由もありますが,企業自身が判例等を通じて,後述するリスクに気が付いてきたというのもあります。特に企業の中で生じている健康問題が「生活習慣病(高血圧,糖尿病等)」から「メンタルヘルス」に変化するに伴い,産業医が診断・治療をすることによって,企業が意図しないリスクを背負い込むことになるからです。
産業医が、従業員の「診断・治療」もすることは非常に危険
業務パフォーマンスが低下している従業員がいたとして,周りから見てもその理由がはっきり明確ではない場合,「病気によるものor単なる能力不足or職務怠慢」なのかで会社の取るべき対応は大きく異なり,その判断は会社にとっても従業員にとっても非常に重要になります。
なぜなら,病気であれば治療に繋げていくことが当然ですし,能力不足であれば教育・指導,怠慢であれば注意,場合によっては懲戒になるかも知れないからです。
業務パフォーマンスの低下に対し,仮に会社が従業員に原因に応じた何らかの不利益処分(懲戒,休職,休職満了による退職・解雇等)を行い,従業員がその処分に対し不満を持ったとします。もちろん,紛争にならないよう労使がお互いによく話し合う必要がありますが,この世の中,どうしても円満に解決しないケースも一定の割合で残念ながら生じます。(補足:休職させることも,従業員に対しては不利益処分になりえます。なぜなら,休職期間満了時には退職等になりますし,多くの企業で休職中の給与は100%保障とはなっていないからです。100%保障だとしても,賞与,残業代,人事評価はどうなんだという点も生じます。)
不利益処分に納得しなかった従業員は,その処分の無効や違法性を主張するために「会社と癒着している産業医の診断によって,一方的に病気と決めつけられた」「産業医に治療してもらったが,一向に良くならない。会社の責任ではないか。」等と主張されるおそれがあるのは明らかですし,実際にそれで企業と従業員が揉めているケース・裁判例もあります。
産業医は私も含め,医師としての良心に基づき,公平・中立・客観的な判断を行いますが,「会社から金銭を受けとり,会社によって選任されている」という客観的事実からはどうしても逃れられません。そのように従業員から主張されても,産業医・会社の判断が公平・客観的であることを証明すれば済む話ですが,余計な揉め事に労力を使うのは避けた方が無難です。
よって,そのような事態を避け,会社の処分が正当であることを主張するためには,上記の判断(病気なのか能力不足なのか怠慢なのか)の基となる医師の診断は,「従業員本人が自らの意思で選んだ医師」の診断であることが望ましいのです。
そうすると企業の人事の方からは,「職務怠慢が疑われる人が,病気と診断されると免罪符のようになって,会社はその人に何も言えなくなってしまうのではないか」と聞かれますが,それは違います。こちらにも書いている通り,病気であったとしても企業として受け入れられない無理な配慮に対しては,NOと言っていけば良いだけの話です。(←確かに,病気と診断された以上,一定の配慮が必要になって来る可能性はありますが,上記のように「会社と産業医が癒着して虚偽診断…」「治らないのは会社のせい…」と従業員から主張されて揉めるリスクは避けた方が無難ですし,病気と医者から正式に診断された方に一定の配慮を行うことは労使の信義上必要なことだと思います。)
このように、今の時代になっても、従業員の治療を自分のクリニックで平気で引き受けてしまう産業医を雇うことや、社内診療所でメンタル疾患(身体疾患も)の診断・治療を行うことは、企業にとって非常に危険であり、早急に見直し・改善されることをお勧めします。
診断・治療に関する弊社のスタンス
産業医が診断・治療しない理由として,教科書的には「主治医と産業医の役割が違うから」と説明されることが多いようです。
ただ,別に法律で「産業医は治療をしてはいけない」と禁止されているのではありませんし,実際には私は精神科医ですから,メンタル不調の方に対し(企業内診療所があれば)薬を使った治療もできますし,カウンセリング的アプローチもやろうと思えばできるわけです。
しかし私がそれをやってしまうと,企業様に上述のようなリスクを背負わせることになりますので,基本的には診断・治療は行いません。
ただ,過去に経験したことはありませんが,もし企業・人事労務担当者様が「我が社はそのようなリスクを承知の上,全て背負います。そもそも我が社は,従業員に対して,休職も含めた不利益処分を行うことは断じてありません,労使のトラブルの可能性などゼロです。ですので,是非とも先生に治療をお願いしたいです!」と断言され,従業員本人からも「是非とも先生にお願いしたいです!」と懇願された場合には,企業様にそこまで私の診断・治療能力を信頼して頂けることはある意味光栄なことですので,私が治療することも考えるかも知れませんが,現実的にはそのようなケースはまずありえません。
上述のリスクを企業様に説明すると、「なるほど、そこまで考えずに安易にお願いしてしまいました。先生にお願いするのは止めておきます。」となります。
(以上は,「治療の開始時」の話であり,「休職からの復職時」の判断とは別です。復職時に「まだ病気が十分回復していない」と企業が考えそれを主張していく場合は,産業医の判断・意見も非常に重要になります。ただしその場合でも、診断をして主治医とは違う病名を付けるようなことはなく、あくまで「病状的に業務に耐えられるかどうか」について判断します。)