労働者の健康情報を産業医から会社へ伝えることについて
(この記事は、前回の記事の続きです。)
会社での健康情報の取扱いとプライバシー保護の両立は難しい問題
会社の中で、誰が(具体的には社長、人事部長(人事部員)、その労働者の管理監督者等)健康情報を取得し利用してよいのか、いままではグレーな部分が結構あったように思います。
私が実際に経験したケースでも、ストレスチェック高ストレス者面接指導の結果を、社長や人事部長が見ているケースがあり(それ自体は、その会社のストレスチェック規程にも定められており、法的に問題は無い)、そうなることを面談希望した労働者が知らなくて、揉めかけたケースがありました。
ストレスチェックにおいては、各社に規程があるはずですので、その内容を見れば労働者は自分の情報がどこまで共有されどのように扱われるのか知ることができ、また、適切に規程を周知しているのであれば「労働者も知っているはず」と言う前提で話が進めることができますが、ストレスチェック以外については規程を定めている会社はおそらくほとんどないため、今回の法改正で、そのあたりをしっかり定めましょうとなっているのです。
私は産業医ですので、産業医面談について考えてみても、『産業医面談の位置付けって、そもそも何なのか』について、労働者側、会社側、産業医側の3者間で認識のずれがあり、トラブルになるケースもあるように思います。
すなわち、労働者の中には、「産業医面談って、病院で診察受けるのと一緒でしょ。つまり、守秘義務があるから、面談で話したことって、外には漏れないんでしょ。病院で先生に話したことが、自分の許可なく、会社やご近所さんに伝わるなんて、ありえないのと一緒でしょ。」と考える人もいます。
そこまで考えていなくても、自分の健康情報が会社へ伝わるのはイヤだというのは、一般的な感覚であり、そのことは、ストレスチェック制度において面接内容・結果が会社へ伝わることになる医師面接を自ら希望する人は、受検者の数%に過ぎないことからも明らかです。
一方、会社側にしてみれば、職場で問題がある(例えば、頻回に遅刻して明らかに体調面に懸念があったり、感情の起伏が激しく上司・同僚と頻回に問題を起こす等)から産業医面談を受けさせているのであって、面談内容・結果について、労働者が同意しないこと等を理由に一切知らされないと、何のために面談しているのか分からないし、適切に安全配慮義務を履行できないとなります。
また、産業医側においても、様々な考えの医師がおり、
①産業医業務を病院・クリニックでの業務と同じように考えており、会社から面談内容について報告を求められても「守秘義務があるから一切言えない。労働者も伝えないでくれと言っていた。」と突っぱねる産業医
②会社に聞かれるがままに、または聞かれていないことまで、何でもペラペラとしゃべる産業医
③通達やガイドラインに従って、面談で聞いた内容を、本人のプライバシーにも配慮しつつ会社が安全配慮義務を適切に履行できるよう加工し、会社へ伝える産業医
に分かれます。
同意はいるとは思うけど、どうやって取ればいいの…?
産業医(私)にしてみれば、③が正解なのは分かるけど、適切に加工さえすれば事業者に伝えていいのか、本人同意はどこまで必要なのかについて、かなり悩ましいところがあったのは事実です。
すなわち、法定外の事項に関して、事業者が産業医から健康情報を取得する際には、本人同意が必要なのか、また必要だとしてどのような同意取得方法が求められるのかの問題です。
(「会社が産業医から情報を収集すること」と「産業医が会社へ情報を伝える」ことは、裏表の関係にありますので一緒に考えます。)
なぜ悩ましいのか、それは、従前からの通達・ガイドラインには策定手引きの28ページの一番上にも載っているように、『事業者は、法令に基づく場合等を除き、労働者の健康情報を取得する場合は、あらかじめ本人の同意を得なければならない』となっていますが、会社が労働者に対し、産業医から情報を取得することに関してあらかじめ本人同意を得ているケースはまれだからです。
法令等に基づく場合(個人情報保護法17条2項各号)には、同意は不要となりますが、法令に基づくといえるのは今回の策定手引き34ページの表のピンク、黄色の情報の取得であり、「一般的な産業医面談で得られた情報」(表の18番)を本人同意なしで会社が産業医から取得するのはまずいのではないかと以前より思っていました。
安全配慮義務(労契法5条)の履行という法令に基づいての取得なので同意はいらないと言える可能性もわずかにはあるのではないかと思っていましたが、今回の指針により、明確に否定されました(18番の情報等は、緑色で、収集には本人の同意が必要となっています)。
では、同意を取りましょうかという話になったとします。
しかし、私の経験上、ストレスチェック高ストレス者面談前に「面談の内容のうち必要なものは、会社へ伝わり、適切な就業上の配慮へ繋げますよ。いいですか?」といった同意書を(規程での明記に加えてさらに)念のために取っている会社は結構ありますが、通常の産業医面談時に同意書を取っている会社はほとんど見たことがありません。
その理由としては、おそらく、産業医面談開始前に会社が労働者に(又は会社に代行して産業医が)毎回、「産業医面談で話した内容を、産業医が加工した上で、会社へ伝えることに同意しますか?」と聞いた場合、特に事例性(勤怠乱れ等)が生じているため無理やり不本意ながら産業医面談を会社から命じられた労働者の場合には、そもそも不同意とするか、同意したとしても面談後の不利益取扱いを警戒して(今回の指針にて禁止はされていますが(後述※))、面談で自由に話ができなくなるからではないかと思われます。
産業医視点で考えても、面談したものの「この内容は、「全て」会社には伝えないで下さい。」と労働者に言われてしまった場合、労働者の悪い病状を知ってしまったものの、何ら従業上の配慮に繋げられず自分だけで抱え込まなければならない、本人の体調を心配した会社から、どうでしたかと聞かれても「本人の同意がありませんので、何もお伝え出来ません。産業医からは何も言えないので、自分たちで考えて下さい。」と突っぱねるしかない(そして会社からは「なんだこの産業医。存在価値無しだな。」と思われる)と言うジレンマ状態に陥ります。
そこで実際には、事前同意をわざわざ取ることはあまりせず、産業医から事業者へ情報を伝える際にはプライバシーにも配慮し不利益に取扱われないよう適切に加工しつつ、安全配慮義務履行上必要な情報については確実に会社へ伝えるという、微妙なさじ加減の上で行われてきたのが実情ではないかと思います。
このような事情の中で、なんとなくグレーに行われてきた会社と産業医間での健康情報の取り扱いが、今回の法令→指針→労使間の取扱規程により、『同意取得の方法』、『不利益取扱いの防止(指針の2(8))』が明確化されたことで、産業医としてはやりやすくなる部分もあるのではないかと思います。
(※)ストレスチェック指針においては、「労働者に対する不利益な取扱いの防止」を規程に定めるようになっており、厚労省のストレスチェック規程例でも7章丸々使って、不利益取扱いを禁止しています。そして実際、各社のストレスチェック実施規程を見ても、不利益取扱いの禁止が定められています。
しかし、今回の指針では、「労働者に対する不利益な取扱いの防止」は、指針の中で言及されてはいるものの、規程に定めるべき事項には含まれておらず、厚労省規程例にも項目自体ありません。
この辺り、労使間の駆け引きが見受けられ、興味深いところです。
やはり健康情報をどう扱うかは労使にとってシビアな話であり、労働者の健康状態によっては労働条件や雇用に影響し、労使紛争になっているケースも現実として多く存在します。代表的な労働判例雑誌である「労働判例」において、今年に入ってからこの記事を書いている3月末までの内容を見てみても、メンタル不調に関する判例が毎号掲載されており、新春合併号の特集に至っては「休職・復職をめぐる裁判例と課題」となっています。
その労使の間で活動しなければならない産業医は、非常に難しい立場にあると言えるでしょう。
それでも残る疑問
上記の例にも出しました、手引き34ページの表の18番の情報、すなわち『産業保健業務従事者(産業医や保健師)が労働者の健康管理等を通じて得た情報』(=例えば、「Aさんは仕事のストレスで最近眠れていない」)を、例えば管理監督者が知り・取扱うためには、どのようにすれば良いのか考えてみます。
18番の情報は、緑色ですので、法令によらずに事業者が収集するものであり、取扱いには本人同意が必要になります。同意の取り方としては、規程例には以下のように書かれています。
『本人が、情報を本人の意思に基づき提出したことをもって、取扱いに関する本人同意の意思が示されたものと解する』ことになりますが、これを産業医面談を通じて得た18番の情報に当てはめた場合(緑色の17番(復職面談の結果)、14番(通院状況等)などにおいても同様)、
①労働者が産業医へ、病状などを口頭で伝えた場合、それは『本人の意思に基づき提出』に該当すると考えてOKか。
②『産業医により適切に加工された情報が、産業医から「△」の担当者(=社長や管理監督者等)へ提供されること』に同意したと考えてOKか。
の疑問が残ります。
2つともOKなのであれば、産業医としては、非常にやりやすくなります。つまり、「ストレスで眠れていないことを、職場での業務負荷軽減に繋げる目的で、上司に伝えてもいいですか」等と逐一確認しなくても良いということになります。
18番の情報について、産業医「○」、管理監督者「△」と規程で決めた場合、「△」の定義は規程にあるように「情報の収集、保管、使用を行う。なお、使用に当たっては、労働者に対する健康確保措置を実施するために必要な情報が的確に伝達されるよう、医療職が集約・整理・解釈するなど適切に加工した情報を取り扱う。」なのですから、当然、加工された情報が産業医から管理監督者へ伝わることが予定されている規程であると言え、労使間でそのような取り決めがなされた規程が作成されて周知されている以上、産業医面談を受ける労働者は、情報が伝わることを当然予測できると言えるでしょう。
産業医に口頭で自分の情報を提供したということは、産業医↔管理監督者での情報の適切なやり取りをも含んだ、規程に沿った情報の取扱いに、労働者は同意したと解す余地もありそうです。
一方で、規程例の別表5が想定しているのは、「がん検診などの法定外の項目を、労働者が会社へ任意に提出してきた場合には、いちいち同意確認を本人へ取らなくても、その情報を事業者が収集し、規定に沿って取扱うことに同意したと解してOKですよ」というケースや、策定手引き10ページのような「治療と仕事の両立支援のために、労働者本人が勤務情報提供書に対応した主治医意見書を事業者に提出した場合」等であり、産業保健スタッフが得た病状等の情報が加工されたものを、事業者や管理監督者が取得することに同意したわけではないという考えも、十分にあり得ます。
また、指針には『労働者本人が自発的に事業者に提出した心身の状態の情報については、「あらかじめ労働者本人の同意」を得たものと解される』と書かれており、産業医へ話すことを「自発的に事業者へ提出」と同視するのは無理があるとも思えます。
以上、長々と書いてはきたものの、「法定外の事項に関して、事業者が産業医から健康情報を取得する際の、本人同意の取得方法」について、今回の法改正によって結局どう考えるのが正解なのか、私にはよくわかりません。
いずれにせよ、書面や口頭で本人の明確な意思表示を取っておけば間違いないのでしょうが、実務上、産業医・保健師面談ごとに毎度それを行うべきなのか、上記の通り難しい面も残ります。
今までは、グレーなままでやってきた会社・産業保健スタッフも多いと思いますが、今回、従前のガイドライン・通達レベルから、明確に安衛法に沿って労使間で規程化されるわけですので、同意をとらずに事業者が産業医から情報を収集した場合(産業保健スタッフが会社へ伝えた場合)、安衛法違反・規程違反であると言われてしまう可能性も解釈によっては出てくるのではないかと思います。
そこで、このようなグレーを無くすためには、毎回(又は一連の面談の初回に)、事業者↔産業医での情報共有に関しての同意書を取ったり、「労働者が産業保健業務従事者へ健康情報を提供した場合は、適切に加工されたその情報を、事業者が収集等することに同意したものと解する」と規程で定めることも考えられます。
ただ、そのように規定しても、労働者が『同意したものと解する』ことに反対(情報収集等に不同意)した場合どうするのかという疑問は残ります。
その場合でも、既に事例性が発生しているようなケースにおいて安全配慮義務を適切に履行するために、会社として健康情報を収集等したいのであれば、厚労省が公表している「長時間労働者、高ストレス者の面接指導に関する報告書・意見書作成マニュアル」に記載されている、厚労省お墨付きの以下の一文
『本人が事業者への報告を拒否した内容についても、本人の安全や健康を確保するために不可欠であると考えられるものについては、事業者が適切な措置を講じることができるように健康情報を労務管理上の情報(就業上の措置に関する事項)に加工するなど、労働者本人の意向も十分配慮した上で報告します。』
『報告書に書いてもらいたくない内容があればおっしゃってください。ただし、あなたの健康を守るために不可欠であれば、事業者に伝えなければならない場合があります。』
のような内容をあらかじめ規程に組み込んだりすることも考えられます。
(マニュアルのこの一文は、本当に法的にOKなのか、個人的に少し心配な面もあります。
もし仮に、私が労働者の立場で面談を受けたとして、産業医面談で色々と話をした後に、産業医から上記マニュアルのセリフを言われたら、「私が会社に伝えないでって希望しても、健康を守るために不可欠と先生が判断すれば、結局会社に伝えるんかい!」「健康を守るために不可欠って、どのレベルなん?そんなん先生の一存ちゃうの?」とツッコミたくなると思います。
「あなたの健康を守るために不可欠」「報告を拒否しても」ということが、個人情報保護法の「人の生命、身体
「健康を守るため」と聞くと、普通の医師の感覚からすると、個人情報保護法で想定される「人の生命、身体
今後、弁護士の先生などの策定手引きの解説等も、ストレスチェックの時のように、労務系雑誌などで掲載されることもあろうかと思いますので、引き続きフォローしていきたいと思います。