電通の過労死・過労自殺と社長メッセージに産業医が思うこと

2016-10-18

痛ましい事件

去る10月7日、電通の24歳の女性社員の方が過労自殺をされ、労災認定されたことが大きく報道されました。

この女性、そしてご両親・ご家族の無念を思うと、本当にいたたまれない気持ちになります。

私にもまだ小さな娘がいます。この娘が大きくなって、過労自殺してしまったと想像すると、胸が張り裂けそうになります。

この女性は、東京大学を卒業され、さらには電通の入社試験も勝ち抜いた非常に優秀な、ご両親にとって自慢の娘であったろうと思います。そのような娘を失ったご両親の悲しみの深さは、想像もつきません。

 

過労自殺(含未遂)は労災認定されたものだけでも、年間100件ほど生じています。労災申請していないケース等も含めると、さらに多くなるでしょう。

このような悲しい事件が繰り返されないよう、産業医として何ができるのか、改めて考えさせられます。

 

経営層の意識

この電通の事件に関連し、ある大学教授がSNSで『月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない。』と発言し炎上しています。

炎上してしまい、教授は慌てて、以下の内容を含む謝罪文を投稿しました。

『とてもつらい長時間労働を乗り切らないと、会社が危なくなる自分の過去の経験のみで判断し、その働き方が今の時代に適合かの考慮が欠けていました。』

 

教授の所属する大学側が急きょ教授の発言を非難する声明を発表したように、不適切な発言だとは思いますが、「つらい時期を乗り越えることで、仕事上成長することもある」というのも一部事実としてありうるのかもしれません。
おそらく、経験を積んだビジネスパーソンの多くはそれに同意するでしょうし、私自身研修医の時には200時間/月以上の時間外勤務をしていた時期もありました(これでも、私はどちらかと言うと自分のプライベート時間も重視するタイプの研修医でした。普通の研修医、忙しい医者は、これ以上の時間外労働をしてることも多いです)。

この教授は、日本を代表する大企業で、経営層として実績を残されてきた優秀な方ですので、プロとしてハードワークするのが当然との意見なのだと思います。

どのような意見を持つか、表現するかは個人の自由であり、保障されるべきものと思います。しかし、自分自身の考え・信念・信条とは別に、以下の事実も頭に入れておかなければなりません。

 

経営者と労働者は、立場が天と地ほど違う。

・経営者は何時間残業しても、なんら法律上問題ないが(そもそも残業という概念がない)、非管理監督者の労働者に時間外労働をさせることは『刑事責任を問われる違法行為』であり、36協定を結んでも上限があり、それを超えると違法である。

 

教授は、自分の過去の経験が今の時代に適合しないのにこのような発言をしたことを謝罪されています。
しかし個人的には、時代に適合するかどうかの以前に、違法行為がベースにあって、国も労災と判断しているのに、「情けない」と言ってしまうのが不適切なのではないかと感じます。

もしかすると、この教授は、100時間超の残業をやらせることは違法であるという認識が低かったのかもしれません。

人の顔面を殴るという違法行為(傷害罪)の被害者に対し、「遅いパンチなのに避けられず、打ちどころが悪く死ぬとは情けない」「自分が若い頃は、軽いフットワークで身をかわした」とは普通の感覚を持つ人間であれば言わないように、36協定の上限を超えて残業させることが違法行為であることを強く認識していれば、「100時間で過労死するとは情けない」という発言には至らないように思います。

(なお、報道によると、電通の36協定は、法定外上限50時間/月、特別条項での延長最高50時間/月とのことですが、もしそれが事実であれば法定外100時間超の残業は違法ということになります。また、労働時間を過少申告するよう労働者に指示していたと疑われるとの報道もありますが、仮に事実であれば、かなり悪質と言えます。)

欧米のエリート・ノンエリート区分とは違い、日本の大企業の経営層の多くは、労働者の中から競争を勝ち抜いて選抜されてきた方々ですので、自分の労働者時代の当たり前を一般社員に押し付けてしまう傾向があるのかもしれません。

経営者の常識・当たり前を、労働者に押し付けることはできないと、意識すべきです。(私自身経営者ですので、自戒の意味も込めて。)

 

過重労働をなくすためには

長時間労働を減らしていくための方法は、大きく以下の2つに分けられるように思います。

 

①企業が自発的に削減する

➁国が厳しく監督する

 

一部メットメディアにおいて、17日に発せられた電通社長の社員向けメッセージが報道されています。そこにはこのように書かれています。

 

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企業と社員が持続的に成長し続けるためには、業績だけではなく、日々仕事に取り組む社員が、健全な心身を保ち続けていることが、その企業の根幹において成立していないといけない。

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これは①に当たります。

近年、「健康経営」という言葉が広がりを見せています(「健康経営 ®」は、NPO法人健康経営研究会の登録商標です)。しかし、日本に存在する経営者の全てがこのような意識を持つようになるのはかなり難しいでしょう。
電通という日本最大手の広告代理店ですら、事件が起こったのち、後手になって改善に着手しようとするのですから…。

多くの中小企業にとっては、業界で生き残ること・利益を出すことが最優先であるため、「違法であろうと何であろうと、やらざるを得ない」「残業を削って、競争力が落ちると困る」との考えから、社員の健康はどうしても後回しになってしまう実情があるように思われます。

 

社長メッセージには以下の記述もあります。

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・東京における臨検監督には「過重労働撲滅特別対策班」も参画したことは、当社の労働環境に対する当局の関心の高さの表われであり、社はその事実を極めて厳粛に受け止めています。

・行政指導である是正勧告にとどまらず、法人としての当社が書類送検されることも十分に考えられる。

・これまで当社が是認してきた「働き方」は、当局をはじめとするステークホルダーから受容され得ない。

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これは➁が、長時間労働削減の契機になっているものと言えます。

『当局をはじめとするステークホルダー』というのは誰なのか具体的には書かれていませんが、株主、取引先、労働者自身、そして労働者の家族などが考えられます。

電通に限らず、長時間労働というものは、日本の雇用と密接に関連した根深い問題です(ぜひ日本の雇用慣行に関するこちらの記事も参照下さい)。

「働き方改革」として、国は様々な施策を実施していますが、それをさらに加速させることが望まれます。
特に、労働者が健康を保持し安心して働けるようにするため、『違法行為、違法状態』に対しては、労働基準監督官を増員する等して、厳しく取り締まる必要があるのではないでしょうか。

管理監督者の負担増について

最後に一点。

電通は、36協定の見直しを発表しています。これが本当に遵守されるなら、一般労働者の時間外勤務は減るでしょう。

その一方で懸念するのは、「管理監督者の負担が増大するのではないか」ということです。

管理監督者にとっては、36協定は関係ありません。残業をさせても労基法上、刑事責任を問われることはありません(民事上の安全配慮義務違反はありますが…)。

仕事量が同じであれば、一般労働者が36協定遵守によりできなくなった仕事を、管理監督者が肩代わりしなければならなくなることも考えられます(又は派遣社員増員、下請への転嫁で対応する等)。

報道されている電通の改善策は、違法状態の改善(36協定の遵守)と、36協定の時間を労災認定の目安の45時間・80時間を意識したものに変えることが含まれているようですが、管理監督者へのフォローも併せてしっかり行って欲しいと思います。

読者の皆さんお気づきの通り、36協定違反回避のための『名ばかり管理職』の問題、上述の労働力のバッファーとしての派遣・非正規の存在、下請多重構造等、日本の労働問題は色々とややこしいことが複雑に絡み合っているのです。
違法な長時間労働を取り締まることは必要ですが、それはあくまで対症療法にすぎず、本当に改善するには、将に『働きかた改革』と言えるくらいの『改革的』な変化が必要なのかもしれません。

 

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