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産業医から見た「労働時間の適切な管理」とは

2016-08-05

最近、労働時間に関する取り締まりが強くなり、弊社のクライアント先でも労基署の立ち入り検査を受けたところが数社出てきています。

先日、第3次安倍再改造内閣が発足し、働き方改革を推進する担当大臣が新設されました。今後、残業に関する規制・取り締まりは一層強まるものと思われます。

では、政府や世の中の流れとして残業を減らしていこうとなったとしても、そもそも適切な労働時間管理を企業がしていなければ、話が始まりません。例えば月に100時間残業しているのに、自己申告制であるため会社の記録上は20時間になっているなどのケースも散見されます。

 

まずは、正確に労働時間を管理することが、残業削減の第一歩ですし、労基署の臨検の際などにも、適切な労働時間管理ができているかが重視されます。(なお、労働時間を正確に把握すべきことは労働基準法などの条文に明記されているものではありませんが、労基法においては、労働時間、休日、深夜業等について規定を設けていることから、企業は労働時間を適正に把握する責務を有していることは明らかであるとされています。また、今度の9月の臨時国会では、インターバル制の導入とともに、使用者による労働時間把握義務の強化等が議論されると思われます。)

 

 

では適切な労働時間管理とは何なのか?

厚生労働省から「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関する基準」(以下、基準という)が出されていますので、それを少し見て見ましょう。 

労働時間管理方法の原則

基準には、以下のように書かれています。

 

使用者が始業・終業時刻を確認し、記録する方法としては、原則として次のいずれかの方法によること。

(ア)使用者が、自ら現認することにより確認し、記録すること。

(イ)タイムカード、ICカード等の客観的な記録を基礎として確認し、記録すること。

 

自己申告制は例外的な措置

そして、基準にはさらに以下のことも書かれています。

 

上記の方法によることなく、自己申告制によりこれを行わざるを得ない場合、使用者は次の措置を講ずること。

 

ア 自己申告制を導入する前に、その対象となる労働者に対して、労働時間の実態を正しく記録し、適正に自己申告を行うことなどについて十分な説明を行うこと。

イ 自己申告により把握した労働時間が実際の労働時間と合致しているか否かについて、必要に応じて実態調査を実施すること。

ウ 労働者の労働時間の適正な申告を阻害する目的で時間外労働時間数の上限を設定するなどの措置を講じないこと。また、時間外労働時間の削減のための社内通達や時間外労働手当の定額払等労働時間に係る事業場の措置が、労働者の労働時間の適正な申告を阻害する要因となっていないかについて確認するとともに、当該要因となっている場合においては、改善のための措置を講ずること。

 

つまり、自己申告制にできるのは、「自己申告でやらざるを得ない」という例外的な場合のみなのです。

私が思うに、「自己申告でやらざるを得ない」というケースは、テレワークなどで自己申告によらざるを得ないケースなど、かなり限られるのではないでしょうか。

普通に会社に来て働いている場合には、出入り口にICカードリーダーを置けば簡単に把握できるのですから、「自己申告でやらざるを得ない」とはならないでしょう。

 それにも関わらず、未だ多くの企業で、自己申告による労働時間管理が行われていますが、それを今後も続けていくことは難しくなるように思います。

 

そして何より、産業医として労働者と多く接する機会のある立場から言うと、「実際の残業時間と、会社への報告時間が、違う。」というのは労働者が一番よく知っていることであり、それは、労働者の不満・不安やモチベーションの低下に繋がります

労働人口が減少し、優秀な人材確保が難しくなりつつある時代において、残業を自己申告制で過小に報告させることは、企業の継続的な成長・存続に悪影響を与えるファクターになりかねないと言えるでしょう。

今後、日本の労働時間はどうなるのか?

2016-07-16

労働時間と働き方改革

先ほどの参院選では、自民、民進をはじめとした各党が、同一労働同一賃金の実現等を公約として挙げていました。

日本の正規雇用と非正規雇用の賃金格差は、日本独自の終身雇用を背景とした非常に根深い問題ですので、どこまで同一労働同一賃金が実現されるのかは現時点ではわかりませんが、議論は確実に深まっていくものと思われます。

また、参院選後、連日新聞でも「働き方改革」という文字を見かけます。

今後、労働人口が減少するのが確実な日本においては、女性・高齢者・(+外国人労働者?)の労働力を活かすことが必須になる訳ですが、現在の「終身雇用・正社員=長時間労働・全国転勤」のままでは人材活用は困難だからです(こちらの記事にもその辺りのことは書いています)。

働き方改革できるのは大企業だけ?

本日(7月16日)の日本経済新聞に、神戸製鋼所が19時以降の残業を禁止し、女性の離職率低下等に繋げていきたいと考えているという記事がありました。業務の効率化も併せて行い、実現していくとのことです。

 

大企業では、トップの決定・方針は確実に実行される傾向がありますので、おそらく神戸製鋼では19時以降の残業はかなり減るものと思われます。一方で、効率化するにも限界がありますので、夜に残業できないのであれば朝にやるしかなく、始業時間前の時間外労働が増えるかもしれません。
そうだとしても、伊藤忠商事の取り組み等でも成果が出ている通り、朝方勤務の方が全体としては残業削減効果があると言われていますので、良い取り組みだと思います。

 

一方、日本の労働者の大部分が中小企業に勤めているわけですが、基本的に仕事の発注者側である大企業が行っている取り組みを、下請側で常に納期等に追われているような中小企業が行えるとも限りません。仮に19時以降の残業を一切禁止とすると、破綻しかねない中小企業も山のように存在するものと思われます。

 

若者の意識の変化

大企業とは全く同じことはできないとしても、労働時間に関する問題を解決していこうとする姿勢は、中小企業にも必要であると思います。なぜなら、若者の「仕事とプライベートの調和」に対する意識は年々上がっているからです。

 

先週発表された日本生産性本部が実施した今年の新入社員1286人に対する意識調査でも、「仕事は人並みで十分」との回答が、過去最高の58.3%となっています。「デートか残業か」では、残業が76.9%、デートが22.6%と、ここ数年はデート派が増えているとのことです。

 

私が産業医として若い社員の方と面談している中でも、「この企業は残業多すぎてブラックですよ」とか「自分の身を守るために、労働時間の証拠を残そうと思いますよ」等と冗談めかして自虐的に仰るケースによく遭遇します。

 

労働時間を改善して行こうという姿勢を持たないと、労使トラブルに発展するリスクもありますし、また、今後労働人口が減少する中で若者に敬遠され、人材確保に非常に苦労することになってしまいます。

中小企業でもこれだけは必須!

産業医兼特定社労士の立場から、労働時間に関して、中小企業であってもこれだけは気を付けたい(=労使トラブルに繋がり易く、労働者側からしても不満・疑念を持ちやすい)ものの代表として、以下の3つを挙げてみます。

 

労働時間の管理」、「みなし労働時間」、「固定残業代」

 

(次回記事へ続く)

上司「電話していいの?」休職者「電話が怖い!」メンタル不調者との連絡について

2016-07-04

そもそも休職制度とは

休職とは、労働者が病気等で仕事ができない場合に、労働契約を維持したまま一定期間、勤務を免除する制度です。

 

労働基準法等において、特に休職制度を定める義務が企業に課されているわけではありませんので、どのような休職制度を定めるか、場合によっては休職制度自体を設けないことも企業の自由です。

 

但し、休職制度がなく、「病気になって一定期間働けない⇒すぐに解雇又は退職」にした場合、その解雇が有効かどうかは、「客観的に合理的な理由があるか、社会通念上相当であるか」の観点から判断されることになりますが(労働契約法16条)、一定程度の規模の企業において休職制度を設けずにすぐに解雇とすることは社会通念上相当でないと判断される可能性があり、また人材確保・活用の観点等からも、ほとんどの企業においては就業規則に休職制度を設けているものと思います。
 

病状報告をしてもらう必要性

このように休職とは解雇猶予措置であり、その期間中、労働者が自由に好きなだけ休める権利を与えるものではありません。労務の提供が可能な状態まで回復したのであれば、労働者には職場復帰する義務があります。ですので、現在、療養が必要で労務の提供が不可能な状態が続いているのかどうかを確認するため、企業が休職中の労働者に定期的に病状報告をもとめること(診断書の提出等)も、可能です。

 

また、休職中、本人と全く接触を持たないでいると、本人からある時突然に、復帰可能の主治医診断書が提出されることになります。

 

そうすると、復帰先の受け入れ態勢や、業務の調整などの準備ができず、企業は慌ててしまうことになります。そのような事態をさけ、復職者がスムーズに職場復帰できる環境を準備するためにも、定期的に接触・病状報告を求めることは必要であると言えます。

 

厚生労働省の手引きにはどう書かれているか

しかし、不適切な形で接触すると、こちらの記事でも取り上げたW社事件(京都地裁 平成28年2月23日判決)のように、会社の接触自体が注意義務違反と判断され、労働者に対する損害賠償義務が生じることになりますので注意が必要です。

では、適切な接触の仕方とはどのようなものでしょうか?

休職中の労働者とどのように接触すべきか、厚生労働省「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」にも書かれていますので、一部引用します。

 

『管理監督者及び事業場内産業保健スタッフ等は、必要な連絡事項及び職場復帰支援のためにあらかじめ検討が必要な事項について労働者に連絡を取る。』

 

『ただし、実際の接触に当たっては、必要な連絡事項(個人情報の取得のために本人の了解をとる場合を含む。)などを除き、主治医と連絡をとった上で実施する。また、状況によっては主治医を通して情報提供をすることも考えられる。』

 

つまり、「など」に何が含まれるかの解釈にもよりますが

・必要な連絡事項(傷病手当金の手続等)を伝える ⇒主治医との連絡なしで行ってもOK

・病状、体調(=職場復帰支援のためにあらかじめ検討が必要な事項)を聞く ⇒主治医と連絡を取ったうえで行う

 

が基本であると考えられます。

 

就業規則に病状報告義務を入れる意味

 

しかし、上司等が休職者に「体調はどうですか?休んで良くなりましたか?復帰はいつごろになりそうですか?」と聞くために、わざわざ主治医に連絡をとって許可を得ることがあるでしょうか?私の経験上、そこまでしているケースは見たことがありません。実務的には、後述のように本人が嫌がったり拒否したケース以外は、本人が接触に同意したものと考えて、連絡・接触を行っている場合がほとんどだと思います。

 

しかし、厚労省の手引きでは「主治医と連絡を取ったうえで接触すべき」となっているのです。

 

もし仮に、会社と労働者の間でトラブルに発展し、「会社から接触されたことで病状が悪化した」と主張されたら、会社としては不利な状況に追い込まれるかも知れません。なぜなら、厚労省の手引きに(解釈にもよりますが)逆らった接触をしているのですから…。

 

そのようなトラブルを極力避けるためには、就業規則に以下のように定めるのもひとつの方法です。

 

例:

私傷病休職中、社員は会社の求めに応じて、病状等について定期的に報告しなければならない。また必要に応じて、会社産業医による面接を受けなければならない。

 

就業規則(=労働契約の内容)に定めたからといって、無制限に接触できるわけではありませんが、就業規則に定めない場合よりかは、会社の行為の正当性が認められやすくなると思われます

 

合理的・正当な範囲で報告を求める

就業規則で病状報告義務を定めたとしても、例えば「毎日病状を報告すること」等とするのはやりすぎです。

なぜなら、休職しているメンタル不調者は、出勤できないほど病状が悪いわけです。そして、会社から離れ療養に専念させるために休職させているのです。よって、常識的に考えて本人の過度の負担になるような病状報告義務を課してはいけません

 

一般的には、月に1回程度の報告義務であれば可能であろうと思われます。

 

また、薬の内容や病状等、医学的事項をを事細かに聞くのは、産業医などの産業保健スタッフに担当させるべきです。人事や上司が本人に聞くのは、「体調は上向いているか、それとも平行線か?」「病院へちゃんと通院しているか?」「復帰の目途について主治医から何か言われているか?本人希望はあるか?もしあれば教えてほしい」等の程度に留めましょう。

 

本人・主治医から拒否された場合の対応

産業医活動をしていると、しばしば「休職中の本人から、連絡を取らないで欲しいと言われてしまったが、どうすれば良いか」というご相談を受けることがあります。

また、まれに、休職者の主治医から「会社が接触したから病状が悪化している。どうしてくれるんだ。」とお叱りの電話を頂いたというケースも聞いたことがあります。

 

本人が接触・連絡を嫌った場合、当然ですが、まずはその理由を聞きましょう。ほとんどの場合、会社のことを思い出すとプレッシャーになる等の理由を仰ると思いますが、もしかするとそれ以外かもしれません(例えば、「電話が盗聴されている」など(統合失調症等ではありうる話です)。その場合は、直接自宅まで伺い、病状を聞く必要が生じてきます。)

その場合、その後は無理に接触することは控えましょう。病状が悪化するかもしれない認識を持ちながら、それでも接触を続けることは、実際に病状が悪化してしまった場合には不法行為責任を問われる可能性があります。

 

そのように私から企業担当者へご説明すると、「では、復帰まで一切連絡はとれないのか。いきなり主治医の復帰可の診断書が提出されるまで待つしかないのか。」と心配されますが、そのようにならないための対応方法があります。

 

連絡・接触に耐えられるかどうかも病状確認のひとつの手段

その方法とは、本人へ対し、

 

「では、主治医の先生とも相談しながら、連絡を取っても病状が悪化しない状態まで回復したら、すぐに会社まで報告して下さい。」

 

「いつ会社と連絡を取れる状態になったかは、回復経過把握の目安にしますのでご理解下さい。」

 

と通知することです。

 

これにより、復職希望や復帰可の主治医診断書をいきなり出されるようなことを避けることが、理論上はできるはずです。

 

なぜなら、「会社と連絡を取れるまで回復した状態」から「職場復帰し働けるまで回復した状態」へ移行するには、相当の時間を要するはずであり、接触可能な状態まで回復したという報告を飛ばして(または同時に)、いきなり復帰可の希望を出すことは、医学的にありえないからです。

 

さて、メンタル不調者の休職に関して、5月6日の記事から全6回にわたりお伝えしてきました。まだまだ書ききれなかったこともたくさんありますが、ご参考になれば幸いです。

メンタル不調関連の就業規則整備のポイント①

2016-06-23

前回の記事からの続きです

 

では、どのような点に注目して就業規則を整備すればよいのでしょうか?

メンタル関係でトラブルになりがちなポイントに応じて、主な点を以下に5つほど挙げてみます。

(なお、現在の就業規則を以下のような形に変えることは、多くの場合、就業規則の不利益変更に当たりますので、弁護士や社労士と相談しながら慎重に行う必要があります。)

 

①受診命令

1)初発の場合

会社で働いている労働者の方が、遅刻や欠勤が続いており、周囲の誰の目から見ても「体調が悪そう」な場合であっても、本人が「大丈夫です。放っておいて下さい。」と言い、病院受診を勧めても拒否されるケースがあります。

 

遅刻等で事例性が発生している以上、会社としてはどうにかして一度病院受診をしてもらいたいと考えて当然と言えますが、本人が拒否している場合どうなるのでしょうか?

 

裁判例では、就業規則に受診命令の定めがない場合でも、「労使間における信義則ないし公平の観点に照らし合理的かつ相当な理由のある措置であることから、就業規則等にその定めがないとしても指定医の受診を指示することができ、従業員はこれに応ずる義務がある。」とされていますので(京セラ事件 東京高裁 昭和61.11.13)、就業規則に定めがなくても受診命令は可能です。

 

一方、就業規則で受診命令を定めれば、それは労使間の労働契約の内容となりますので、就業規則に定めのない場合の「合理的かつ相当な理由」よりも緩やかな理由で、受診命令が可能になります。

 

つまり、簡単に言うと,「就業規則に定めなくても受診命令は可能だが、定めたほうがよりベター」ということになります。

 

2)復帰後の場合

復帰したメンタル不調者には、主治医がいて治療を受けているので1)のような「受診してくれない」といった問題はあまり生じません。 

一方で、復帰後、明らかに疾病による事例性が生じており、働き続けることが難しそうにも関わらず、主治医が本人の希望を汲んで「働き続けても大丈夫です」と診断することもあり得ます(主治医の意見には、本人・家族の希望が含まれる場合もあることは、厚労省の「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」にも記載されていることです。)

 

そのように、主治医の意見・判断に対し、合理的な理由を持って疑義が生じている場合は、会社が指定する医師(産業医も含む)に受診させ、セカンドオピニオンをとることも必要になってきます。その際には、1)と同様に、就業規則に受診命令規定があれば、スムーズに指定医への受診に繋げることができます

 

➁休職要件

就業規則の休職要件として、例えば、

1)「6カ月間連続して病気欠勤が続いた場合に、休職とする。」

というような規定になっている場合があります。

一方で、以下のような休職要件にしている企業もあります。

2)「精神または身体上の疾患により通常の労務提供ができず、その回復に一定の期間を要する時は休職とする」

 

1)の場合、「連続して欠勤すること」が休職要件となっているため、出勤と欠勤を繰り返すメンタル不調者に対して休職命令を発することはできません(労務の受領を拒否して連続欠勤と同視する方法もありますが、ここでは割愛します)。

 

企業によっては大企業を中心に、月給制で欠勤しても給与が減らない場合もありますが、1)のような就業規則の場合は、6カ月に1回だけ出勤して、給料を満額もらい続けることも理論上は可能になります(6カ月に1回しか出勤できないほど悪い病状は、就業規則の普通解雇事由に当たるのではないかとも言えますが…)。

 

そのような事態を避けたい場合は、1)のような定め方はせず、2)のような内容に変更する必要があります。

 

次回の記事へ続く。

睡眠時無呼吸症候群・てんかん等と運転業務~産業医の視点から~

2016-06-15

本日の新聞記事等で、JR東日本の40歳代運転士が制限速度の2倍近くで走行したことが報道されています。その運転士は、「意識がもうろうとした」と言っているようですが、2014年11月から睡眠時無呼吸症候群(SAS)の治療を受けており、治療器具の使用を条件に産業医が乗務を認めていたと報道されています。

報道だけでは、「意識がもうろうとしたのはSASが原因なのか」という重要な点がわかりませんが、SASが原因であると仮定して、この事例から色々と考えてみたいと思います。

私は鉄道業界の産業医経験はありませんので、詳しいところまでは分かりませんが、鉄道の運転士に対しては国の指定する運転適性検査や鉄道会社独自の検査等が行われていると思われます。ですので、今回のケースにおいても、そのような検査では異常は見られず、また、主治医・産業医の意見としても運転しても問題ないと判断されたので業務に就いていたものと思われます。

 

そのような状況下においても、今回のような事態が生じてしまったわけです。

 

リスクを評価する

近年、てんかんや心疾患等の発作により、自動車が暴走し、一般市民を巻き込むような事故が複数生じています。弊社の産業医先もあり私もよくウロウロしている大阪梅田で今年2月、神戸三宮で今年5月に暴走事故があったのは記憶に新しいところです。

私が産業医活動をする上でも、企業様から「この社員はてんかんの既往があるが、営業車を運転させても大丈夫か」と聞かれることが増えてきています。

 

その場合、主治医の意見や現病歴、治療歴等を検討し、総合的に判断していくことになるのですが、必ず言えることは、現在症状がどれだけ落ち着いていたとしても、

 

『運転中に症状が出る可能性はゼロとは言えない』

 

ということです。

 

この『ゼロとは言えない。しかも、既往歴がある分、既往歴がない人間よりも可能性は高い。』という事実に企業としてどう対応していくかは、まさにリスクアセスメントの問題です。

リスクを評価する際には、「結果が発生した場合の重大性」「結果発生の可能性」の両面を組み合わせて考える必要があります。

報道によると、JR東日本の規則では、『SASと診断されても適切に治療を受けていれば乗務できる』ということになっていたようですが(←あくまで報道記事の内容ですので、どのような条件下で許可されていたのか詳しいところまではわかりませんが)、これはおそらく、万一運転中に意識消失が発生しても、自動列車制御装置等の安全装置の作動により、衝突事故等が生じて負傷者が出るような事態にならない、つまり、「万一、結果が発生しても死傷者が出るような重大な事態にはならない」と評価したため、SASでも乗務OKとしているのだと思います(あくまで私の予測に過ぎませんが…)。

もしこれが、仮に、SASで意識を失ったら、何百人と死傷者がでる事態に繋がるのであれば、意識消失の可能性がごくわずかでも存在すれば乗務することは会社として決して許さないと思います。

 

重度の肥満の人の自動車運転の方が危ないのでは…

そういう意味では、レールの上を走り、種々の安全装置が備わっている列車の運転はある意味安全と言えるのかもしれません。

むしろ、かなり太っておりSASが疑われる営業マンの方やバス・トラックの運転手の方が、問題視されること無く、眠気を我慢しながら車を運転していることの方が危険と言えるのかもしれません。

 

本人のキャリアとの関係

しかし実際には、「電車の運転手の意識がもうろうとするなんて、怖すぎる!」「なぜ少しでもそんな可能性のある人に運転させているんだ!」という意見が、世の中的には多数を占めるでしょう。そして、従業員が問題を起こした場合に責任を取らなければならない立場の人たち(経営者等)も同様に感じ、「少しでも可能性があるのであれば、絶対禁止すべきだ」と考えるのが普通だと思います。

確かに、そのような意見・考えも十分に理解できます。私が経営者であっても、そう思うでしょう。

しかし、産業医という労使双方の視点から物事を考えるべき立場からあえて申し上げるとと、「業務を一切禁止した場合の、労働者のキャリアに対する不利益」の視点も同時に持たなければならないと思います。

電車の運転手の例において、仮に運転ができなくなるとすると、その人のキャリアは大幅に転換を余儀なくされます。それは、本人にとって、場合によっては耐え難い苦痛かもしれません。

 

おそらくこれも私の想像でしかないですが、JR東日本においても、「安全装置により、ある程度安全が確保されており、追突で死傷者が出るようなことは無い」、「SASに対して適切な治療が行われ、症状も治まっている」という条件の下で、果たして本人のキャリアを厳しく制限して良いのかという視点があったのだろうと思います。また、それは、本人への思いやり的な視点だけではなく、そのような条件下において業務を制限して本人に不利益を与えることが法的にも許されるものなのかという視点も持たれていたのではないかと想像します。労働者の権利という点から考えると、そのような法的視点も併せ持って然るべきです。

だからこそ、『SASと診断されても適切に治療を受けていれば乗務できる』という社内ルールを作られたのではないでしょうか。

 

このように、持病と運転業務に関しては、リスクアセスメントの観点と、本人のキャリアへの影響という観点を併せ持って対応する必要があるように思います。

メンタル不調者対応における就業規則の重要性

2016-06-10

【メンタル不調者の職場復帰シリーズ】

うつ病等のメンタル不調者の職場復帰・復職基準はどうあるべきか

メンタル不調者の復職基準とその判断の難しさ

メンタル不調者への復帰後の対応について

④メンタル不調者対応における就業規則の重要性 (本記事)

はじめに(前提)

この記事の内容は前回の記事の続きですので、前提として、

『職場復帰したメンタル不調者に事例性が見られる場合において、企業として「病状が悪いまま勤務すると、さらに病気が悪化しかねず本人のためにも良くない」とか、「事例性があるため周囲(顧客や同僚等)に迷惑がかかっており、甘受できない」という立場をとる場合』、
つまりは、
『再度休んでもらい、しっかり病気を回復させて、しっかり働けるようになってから職場復帰してもらいたいと考える場合』の就業規則の重要性について書いています。

ですので、全ての企業・ケースにおいてこの記事にあるような対応をとるべきと主張するものではありません。なぜなら、前回の記事にも記した通り、企業として、遅刻・欠勤等が続く不完全な状態の労務提供でも受領し続ける選択肢をとっても構わないからです。

そもそも就業規則とは

日常的にはあまり意識しないかも知れませんが、働くということは『契約』です。その契約に従って、「会社が賃金を毎月払ってくれる」から労働者は働くのであり、「所定労働日に、所定時間働いてくれる」から企業は労働者を雇うのです。

その契約の内容については、労働基準法15条で「使用者は、労働契約の締結に際し、労働者に対して賃金、労働時間その他の労働条件を明示しなければならない。」と定められています。

しかし、労働者の数が増えて何百人にもなった場合、個々の労働者と労働契約の内容を細部まで調整して個々に管理するのは大変です。
例えば、高度成長期に企業業績がアップし、またインフレも伴って、労働者の賃金額を頻繁に上げる必要があった場合、何百人との契約をその都度個別に巻き直すのは非常に煩雑です。
そのような場合、従業員全員に適用される賃金規程のようなものを定めて、集団的かつ統一的に管理する必要性が生じます。 その必要性に応じるものが就業規則なのです。

労働契約法7条では「労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。」とされていますので、合理的な内容の就業規則は、労使ともに労働契約として遵守する義務があるということになります。

また、就業規則においてもう一つの重要な点は、常時10人以上の労働者を使用する事業場においては就業規則作成義務がありますが(労基法89条)、就業規則の中身の決定については、労働者の意見を聴取する必要はあるものの、同意を取る必要まではなく、内容が合理的であるのが大前提ですが使用者側が一方的に決めることができるという点です(実際には、労働組合との協議など、色々あるでしょうが…)。

ですので、就業規則が後述のように整備されておらず、メンタル不調者へルールに基づいたしっかりした対応ができないとしても、それはある意味、ルールを定めることができるのに定めずに放置してきた企業の自己責任とも言えます。

たまに、「何度も休職を繰り返し、何年もほとんど働いていないメンタル不調者がいる。困ったものだ。」と仰る上司や人事担当者の方がいらっしゃいます。

しかし、そのように何度も休職を繰り返すことが可能なルール・就業規則は、国や労働者から企業が押し付けられたわけではなく、企業自身が自らの意思で定めたルールなのですから、そのルールに従って休んでいるメンタル不調者に文句を言うのは少し筋違いのように個人的には思います(文句を言いたくなる気持ちも理解できますが…)。

メンタル不調者対応と就業規則整備

事例性の生じている復帰後のメンタル不調者を再度休職させることは、本人の病状悪化防止や、周囲への負担増回避のために、場合によっては必要なことです。

しかし、メンタル不調者から見ると、「再度休むと、お金に困る」、「再度休むと、周囲からの信頼・評価を損なう」、「再度休むと、休職期間満了で退職に繋がるリスクがある」など、色々なデメリット・不利益が生じえます。

つまりそのような場合には、企業の考えと、メンタル不調者の考えが一致せず、対立する可能性があるということです。労使トラブルに繋がるリスクも存在します。

職場復帰や休職に限らず、世の中の全てのことについて言えることですが、トラブルを避けるために一番重要なことは、『事前に、両者が合意した(又は合意まではいかなくとも、法的に効力のある)ルールを作っておく』ということです。

労働契約における休職について、『事前に、両者が合意した(就業規則には労働者の合意はいりませんので、正確には”法的に効力のある”)ルール』というものがすなわち『就業規則』にあたります。就業規則を事前にしっかり整備しておくことが、トラブルを回避しつつメンタル不調者に確実に適法に対応してくためには非常に重要になるのです。

また一方で、就業規則に沿って対応してもらえることは、労働者にとってもメリットで安心できることでもあります。
なぜなら、ルールが無ければ、その時の上司や経営者の気分や独断に基づき、解雇という可能性もありえますが、就業規則に定めがあれば、少なくともその合理的な就業規則のルールに沿って対応してもらえますし、万一不当に解雇された場合には、就業規則の内容を理由にしてその解雇の不当性を主張して行くこともできるからです。

【つづく】

メンタル不調者への復帰後の対応について

2016-05-24

【メンタル不調者の職場復帰シリーズ】

うつ病等のメンタル不調者の職場復帰・復職基準はどうあるべきか

メンタル不調者の復職基準とその判断の難しさ

③メンタル不調者への復帰後の対応について(本記事)

メンタル不調者対応における就業規則の重要性

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病状が悪いまま復帰した、または復帰後すぐに調子を崩してしまったメンタル不調者がいたとして、企業はその方に対してどのような対応ができるのかを考えてみましょう。

 

この際にも重要になってくる視点は、職場における健康問題に対応するための基本である「疾病性と事例性」です(疾病性と事例性については、こちらの記事もご参照下さい)。

 

復帰したメンタル不調者に対しても、まずは事例性に注目して対応を考えていきます

 

①事例性がないケース

「病状が悪いけれども、仕事はできている」というケースです(あまり無い、レアなケースかも知れませんが)。

 このようなケースにおいて企業が持つべき視点は、「確かに仕事はできている。しかし、現在の仕事をさせ続けることで、病気が悪化することは無いのか。」ということです。

 現在の仕事を続けることで病状悪化が予想される場合は、悪化を回避するための適切な手段を講じる責任が企業にはあります。これは、本人の申し出(「調子が悪いです」とか「業務を減らして下さい」等の訴え)が無い場合でも、企業の責任が免除されるものではないと思われますので注意が必要です。

 なぜなら、メンタル不調の既往があり、復帰した直後数カ月という病状不安定になり得る時期なのですから、企業には「病状が悪化するかもしれない」という予見可能性があるからです。

 企業としての責任を果たし安全配慮義務を履行するためは、仕事ができていたとしても(=事例性がなかったとしても)少なくとも復帰後数か月間は定期的に産業医面談を行い、「現在の業務で病気が悪化することはないか、または現に悪化していないか」を医学的視点からしっかり確認することが重要です。

 

➁事例性があるケース

これは、職場復帰はしたものの、遅刻・早退、欠勤、低調な業務パフォーマンス等が続く状態です。病状が回復していない状態で職場復帰し、そのような状態になってしまうケースはしばしば遭遇します。企業が対応に困ってしまうのも、このようなケースが多いと思われます。

まずは、なぜ遅刻等が続くのかを本人にしっかり確認しましょう。

もしかすると、電車が止まってしまったり、目覚ましの電池が切れたせいかもしれません。そのような不運が、たまたま復職後に偶然重なってしまっているだけかも知れないのです。そのような場合は、病気のせいではありませんから、「社会人たる者、目覚ましは2つセット」などの指導をすることになります。

 

一方、やはり病気のせいで朝起きれず遅刻・欠勤となっていたり、出勤しても集中力がなく業務パフォーマンスが低下している場合等には、どのように対応すべきなのかが問題となってきます。

選択肢その1:不完全な労務提供でも受け入れる

病気による遅刻・欠勤等があり、労働者の労務提供が不完全である場合には、債権者たる使用者は完全な履行を求める権利があるわけですが、一方で、完全な履行は求めず、不完全な状態の労務提供でも受領し続ける選択肢をとっても良い訳です。

つまり、復帰したばかりの人が再度休職になってしまえば、「本人もショックだろう」、「金銭面でも困ってしまうだろう」などの理由から、遅刻や欠勤を認めて働き続けてもらっても良いのです。

 

ただ、このように病状が悪いことを認識しつつそのまま働かせる場合には、通常よりも高度の安全配慮義務が生じますので注意して下さい。 つまりは、「病状が悪い人が、さらに悪くならないよう仕事を与え、手厚く配慮する安全配慮義務」が生じるということです。これは非常にレベルの高いことですので、産業医との綿密な連携が必要になってきます。

 

選択肢その2: 病状が悪く、事例性が生じたままの勤務は避けたいと考える

上記のように、遅刻や欠勤を認めて働き続けてもらうという判断をする企業もありますが、「病状が悪いまま勤務すると、さらに病気が悪化しかねず本人のためにも良くない」とか、「事例性があるため周囲(顧客や同僚等)に迷惑がかかっており、甘受できない」という立場をとる企業もあります。その場合には、再度休んで自宅療養してもらうことも考えなければなりませんが、その際、重要なのは以下の3つです。

事例性の根拠

遅刻や欠勤であれば客観的に評価できるため、特に問題にはなりません。

問題となりうるのは「債務不履行といえる程の業務パフォーマンスの低下」があると判断する場合ですが、その判断に際しては「なぜ低下していると言えるのか」という点と「その評価は公正なのか」という点、さらには「それは労働契約上、債務不履行と言えるのか」が重要になります。

 

なお、「なぜ低下していると言えるのか」についてしばしば経験するのが、あまり仕事ができていない理由が、「会社が仕事を与えていないから」なのか、それとも「本人の病気のせいでできていない」のかを、上司も(場合によっては本人も)意識して区別していないケースです。

後者の場合は事例性があるということになりますが、前者の場合であれば事例性はなく単に会社のマネジメント(業務配分)が悪い、本人に責任はないということになりますので注意が必要です。

 

そういう意味でも、メンタル不調者に対して長期間にわたり漫然と業務負荷を低減することは、事例性を判断する際の混乱の原因となりかねません。産業医の立場から会社とメンタル不調者の両方の話を聞くと、会社は「病気だから仕事ができない、こなせない」と評価している一方、メンタル不調者の方は「自分はできるのに、会社が簡単な仕事しか与えない」と主張されるケースもしばしば経験するところです。

 

医学的評価

事例性が病気によるものだと判断するには、上司や人事の視点だけではなく、産業医による医学的視点を必ず入れるようにしましょう。

就業規則を始めとした労使間のルール

これについては、次回に続きます。

メンタル不調者の復職基準とその判断の難しさ

2016-05-16

【メンタル不調者の職場復帰シリーズ】

うつ病等のメンタル不調者の職場復帰・復職基準はどうあるべきか

➁メンタル不調者の復職基準とその判断の難しさ(本記事)

メンタル不調者への復帰後の対応について

メンタル不調者対応における就業規則の重要性

復職基準に達しているか判断するために

精神疾患に関しては、他の一般的な身体疾患に比べて、客観的に病状を把握できる医学的な指標がほとんどありません

もちろん、精神状態の評価のための心理テスト等は多数ありますが、『本人の自己評価・自己申告・自己の意思に基づく言動』の部分が必ず含まれ、100%客観的な指標はほとんどありません。

例えば、胃癌であれば、胃の細胞を採取してきて顕微鏡で見れば胃癌かどうか判断できます。
癌細胞が見られない場合、本人がどれだけ「この胃の調子の悪さは、胃癌に違いないんだ」と言ったところで、診断には影響しません。

一方で、精神疾患例えば不眠症と診断するには、「寝付くまで時間がかかる」「熟睡感が無い」等の本人の話に基づいて診断することになります。(正確に言えば、脳波を測定する等すれば客観的に評価できるとも言えますが、不眠の診断にそこまでする病院はありませんし、また熟睡感等は本人の弁によらざるを得ません。)

判断の精度を上げる工夫

つまり、メンタル不調の場合は客観的指標がないため、復職基準を満たしているかどうかの判断が難しいのです。

その判断の精度を上げるために、「本人からしっかり話を聞く」という基本以外に、企業は以下のような様々な工夫をしています。

・主治医の診断書(=主治医の意見)をとる
・産業医の面談を受けさせ、意見を聞く
・復帰前には日常生活記録表などを書かせる
・リワークに通って、評価を受ける
など

企業様が、弊社をご利用頂く理由の一つとしては、「産業医+精神科医」の専門性を活かしてここの精度を上げてもらいたいというのもあろうかと思います。

工夫の限界

しかし残念ながら、これらの工夫をいくらしたところで、100%客観的で確実な評価というのは困難です。

例えば、厚生労働省の職場復帰支援の手引きに書かれている復帰基準例の一つに、

「適切な睡眠覚醒リズムが整っている」

というのがあります。

仮に、まだまだ睡眠覚醒リズムが整っておらず、夜中に何度も目が覚める状態のメンタル不調者の方がいたとします。

貯金が底をついた等、どうしても職場復帰しなければならない事情がある場合、不調を隠して、会社や産業医には「よく眠れ、途中で起きることもありません」と話す方も、なかにはおられるかも知れません。

そのような虚偽の報告をされた場合、それが虚偽であると会社や産業医が証明することはほぼ不可能です。嘘であると証明するには、それこそ毎日脳波を測定するしかないと思いますが、全く現実的ではありません。

事実ではないと証明できない以上は、「本人の自己申告が事実である=本人はよく眠れている」という前提のもと、復職できるかを判断していくしかないのです。

 

また、休んでいる期間においては、症状が回復し基準を満たしたものの、復帰後に症状が悪化してしまうケースも多々あります。

私が経験したケースでは、抑うつ症状が出ていた従業員の方が、「休んだ翌日から症状が全くゼロになった」と仰ったケースもありました。

一方、産業精神医学の分野で全国的に著名な精神科開業医の先生が主治医となっている従業員が、その主治医から「症状が回復したので復職可能」との診断書が発行され、産業医面談でも基準を満たしていると本人が自信をもって仰り復職したものの、復職後1日勤務しただけで症状が悪化し、再度欠勤状態となった方もいらっしゃいました。

このように、基準を満たすことは最低限必要であると言えますが、基準を満たしたところで、復帰後も良い状態を継続できるとは全く限らないのです。

 

復帰後の重要性

このようなことから考えれば、「復職時に、基準を満たしてもらう」ということ以外に、メンタル不調者の復職過程において重要なことがもう一つ浮かんできます。

それは、「回復しないまま職場復帰してしまった方や、復帰してすぐに病状が悪化した方がいた場合に、復帰後においてどう対応するか」という視点です。

「メンタル不調者への復帰後の対応について」の記事へ続く】 

(なお念のため申し添えますが、メンタル不調者の方が、虚偽の報告をすることを非難しているのではありません。病気が治っていなくても早く仕事に復帰したい気持ちも分かりますし、また金銭面で生活が懸かっている場合は、虚偽の報告をしてでも復帰したいと考えても、責められるべきものだとは個人的には思いません。もちろん、ご自身の病状悪化防止の観点等からも、正直に伝えて頂きたいとは思いますが…。)

うつ病等のメンタル不調者の職場復帰・復職基準はどうあるべきか

2016-05-06

【メンタル不調者の職場復帰シリーズ】

①うつ病等のメンタル不調者の職場復帰・復職基準はどうあるべきか(本記事)

メンタル不調者の復職基準とその判断の難しさ

メンタル不調者への復帰後の対応について

メンタル不調者対応における就業規則の重要性

 

復職を認めるか、認めないか。意見が対立する時がある。

 

労働者が、まだ病状回復が不十分であるにも関わらず、諸事情から職場復帰を希望し、主治医も本人の希望を汲んで職場復帰可能の診断書を発行するケースも存在するのは、厚生労働省の「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」にも書かれているとおりです。

私自身も、産業医として面談をする中で、
「症状はまだ治ってなくて、夜も眠れませんが、貯金が減ってきたので復職します。」
「主治医の先生は、まだ回復していないので復帰するには早いと言っていましたが、お金がないからと頼み込んだら、復帰OKの診断書を書いてくれました。」
「仕事をするのは難しいと思いますけど、休んでいるより、職場にいる方が気が晴れるから戻ります。」
等と労働者の方から堂々と言われてしまい、面食らった経験もあります。

 一方で、それに対する企業の反応として、「お金がないなら大変でしょう。病気が治ってなくても、仕事が出来なくてもいいから、すぐに復帰しなさい。」という企業もまれにありますが、「病気をしっかり治して、働ける状況になってから復帰して下さい。」と考える企業がほとんどです。その場合には、復帰の可否に関して、労働者と会社の意見が対立することになります。

 

労使のどちらの意見が採用されるべきなのか、職場復帰に関する基準が必要になってくる訳ですが、実は非常に難しい問題であり、その判断が給与のみならず雇用の存続自体にも関わってくる場合には、さらに難しい判断となります。

 

労働契約の観点から~債務の本旨に従った労務の提供~

 

労働契約の観点から言うと、休職からの復職が可能かどうかは、「(労働契約の)債務の本旨に従った労務の提供」ができる状態まで病気が回復しているかで判断することになります。

 しかし、何をもって、「債務の本旨に従った労務の提供ができる」とするのかは難しい問題であり、労働契約の内容や、企業の規模等によって変わってきます。

 例えば、私が外科医として、ある病院と労働契約を結んでいたとします。

 その契約の内容が、「手術専門の病院で、全ての労働時間を手術のみに従事する。その分、報酬は非常に高く、年収4000万」であったとしましょう。
仮に、私が手術のプレッシャーからうつ病になって休職し、主治医から「復職可能。但し、手術は不可で、外来診察のみ可。」と診断書が出ても、復職させる義務はありません。なぜなら、手術のみに従事するという契約内容であり、だからこその年収4000万であり、手術専門の病院なので外来診療は無いからです。手術ができるようにならなければ、そのまま解雇・退職もありえます。

 一方、「医師として勤務する。」という包括的な業務内容の労働契約をしており、かつ大規模な総合病院(←一人手術が出来なくても、大きな支障とはならない。外来診療も行っており、実際に外来のみを行っている医師も所属している。)である場合は、同様のケースでも復職させる義務が病院には存在すると思われます。

 

厚労省の職場復帰支援の手引きにヒント

判断が非常に難しい復職基準ですが、厚生労働省が発表している「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」には、復職基準の例として、以下のことが書かれており参考になります。

 ①労働者が職場復帰に対して十分な意欲を示している。

➁勤時間帯に一人で安全に通勤ができる。

③会社が設定している勤務日に勤務時間の就労が継続して可能である。

④業務に必要な作業 (読書、コンピュータ作業、軽度の運動等)をこなすことができる。

⑤作業等による疲労が翌日までに十分回復していること等の他、適切な睡眠覚醒リズムが整っている。

⑥昼間の眠気がない。

⑦業務遂行に必要な注意力・ 集中力が回復している。

 

私の意見としても、復職に際して最低限これらの条件はクリアしていないと、復帰しても再度休職してしまうリスクが高いと思われます。

 また、厚労省がわざわざ手引きの中で示してくれている基準なのですから、最低限これらを満たさない場合は、「本人が希望しても復帰は認めない」と会社は判断しても良いと思われます。

ただ注意しなければならないのは、「昼間の眠気がない」というのは、業務に支障がある眠気がないということであり、一切の眠気が存在してはならないということではないので注意が必要です。お昼ご飯を食べた後の昼下がりに眠気が生じない人間はほとんどいないでしょうから、この基準を字義通りに解釈するとほとんどの人間は復職不可となってしまいますので…。
また、④や⑦は復帰前には評価が難しい面もあり、あまり厳しく評価しすぎて復職不可とすると不当な判断とされかねませんので注意して下さい。
(この点は、アメリカン・エキスプレス・インターナショナル・インコーポレイテッド事件(東京地裁平成26年11月26日)が参考になります。)

さらには、その方が休職するのが何回目かというのもポイントになります。初回であれば、それほど厳しく判断するのは良くないでしょうが、過去に複数回休職を繰り返しているケースでは、「前回の復職は失敗(再休職)になってしまった。前回と同じ轍を踏まないようにするためには、今回の復職は前回とどう違うのか。」という視点を持って判断する必要があろうかと思われます。

 なお、判例上、上記の基準を満たすかどうか、つまり休職事由が消滅したかどうかは、労働者側に証明する責任があると言われていますので、労働者が「毎日出社できるかどうか自信がない」「集中力が回復しているかわからない」等と言い、基準を満たしているかどうか不明又は自信がない場合は、たとえ主治医からの復職可能の診断書があったとしても、休職を継続すべきであると考えます。

 休職を続け、主治医に治療をさらに進めてもらいながら、例えば毎日出勤時間に合わせた通勤訓練をして、復帰しても安全に通勤できる自信を付けてもらい、また、毎日、所定労働時間(8時間等)に応じて図書館に通い読書をして、業務遂行に必要な集中力が回復していることに自信を付けてもらって、上記基準を満たしているであろうことを証明してもらってから復帰してもらうべきです。

 

まだ訓練も実施できていない状態で、しかも「自信がない」と言っている労働者の復職を、主治医の診断書が出ているから等の理由で安易に認めれば、再休職のリスクが高く、本人にも会社にとっても良いことはありません。

治療を継続し、さらに復帰へ向けた訓練もすれば、自信が持て、また、実際に復帰後も継続して働ける可能性が高まるのですから、「休職を継続して、最低限厚労省の基準を満たしていると自信が持てるまで治療・訓練を行う」選択肢を取るべきであると思います。

 

こんな復職基準はマズイ!

上記の通り、「債務の本旨に従った労務の提供」とは具体的に何なのかは、労働契約の内容や企業規模等によっても異なってくるため、判断が非常に難しいと言えます。

 しかし、いくら判断が難しいと言っても、判決文の中などで見聞きする中で、人事・上司や産業医が労働者に対して示した復職基準を見ていると、「その基準はマズイでしょう!」と思ってしまうものもあります(そして、会社側が敗訴するケースがほとんどです)。その代表が、以下の基準です。

 

「元の職場で、元の通り働けない限りは、復帰は認めない」

 

この基準は、一見正論のように見えますが、労働契約の観点からは無理のある基準であり、このような基準で判断していると、労使トラブルになった際には、まず企業側は負けてしまいます。

 また、無知な産業医が、産業医面談でこのような不当な基準を口走ると、労働者に録音され(産業医面談の録音の反訳が、訴訟で証拠として提出されるケースもしばしばあるようです。)、訴訟の際に裁判所から「産業医は不当な基準で、復職を認めない前提で面談をしている。産業医の意見は信用できない。」と判断されかねませんので注意が必要です。

 

マズイ点1つ目 ~元の職場~

この基準のマズイ点1つ目は、「元の職場」です。

上述の厚労省の手引き等でも、元の職場に復帰させるのが原則とされています。

しかし、これはあくまで原則であり、例外も場合によっては認めなければなりません。
特に、「今回復職を認めなければ、休職期間満了で退職・解雇になる」場面では、例外を認める要請がかなり強く働くと考えるべきです。

 

なぜなら、終身雇用が前提の日本の社会においては、労働契約を終了させることのハードルは非常に高く、メンタル不調者の休職満了時でもそれは当てはまります。

「なぜそんなにハードルが高いのか、会社にとって不利すぎないか」という意見もありますが、こちらの記事にも書いている通り、会社は終身雇用によって、色々なメリット(例えば強力な配転命令権)も享受しているわけです。

ですので、「労働契約の内容や企業の実状等から考えて、本当にこのメンタル不調者が就業できる他の職場はないのか、異動の可能性はないのか」を慎重に判断しなければなりません。

 

元気な人たちには、単身赴任や海外赴任など、その人の家族関係・人生に大きな影響がでかねない配転をバンバン自由に行ったり、全く経験のない分野への異動を命じておきながら、メンタル不調者の復職に際しては「元の職場以外で復帰できる所はありません。元の職場で無理なら、退職・解雇です。」と簡単に判断するのは、不当・不公平であり、裁判所も簡単には許してくれないという訳です。

マズイ点、2つ目 ~元の通り働く~

この基準のマズイ点の2つ目は、「元の通り働く」です。

 

休職しているメンタル不調者Aさんが、休職前に行っていた仕事の量・質を150とします。

世の中でAさんと同種の仕事をしている人の平均が、100だとします。

(そんなに簡単に数値化できるものではありませんが、便宜上。)

 

一般的な日本の雇用の特徴は、職能給です。職務給ではありません。

ですので、会社とAさんは「150の仕事をする」という契約を結んでいるわけではなく、また、150に応じた報酬が支払われているのでもないのです。

 にも関わらず、「元の通り=150」できないと職場復帰を認めないのは理不尽ということになります。あくまで、「その人の元の通り150」ではなく、一般人のレベルである100を基準に考えるべきと言えます。

 

じゃあ、80くらいしかできない場合にも復帰を認めるべきなのかという難しい問題もありますが、この場合も上記と同様に「今回復職を認めなければ、休職期間満了で退職・解雇になる」場面では、復帰させる要請が強く働くため、復帰後2~3か月で100まで戻る見込みがあるのであれば現在は80だとしても復帰を認めるべきという結論になろうかと思います。

これが、50の場合はどうなのか、休職期間満了ではなく休職期間が残っている場合での復職希望時にはどうかのかという更に難しい問題がありますが、ここではあまり深入りしないでおきます。

【「メンタル不調者の復職基準とその判断の難しさ」へつづく】 

4つのケアと安全配慮義務

2016-04-27

企業の中でメンタルヘルス対応を行うにあたり、メンタル不調者が生じにくい働きやすい職場環境を作ることが、最も重要でかつ根本的対策ではあります。

しかし、一方でやはり、上司・人事労務担当者にとって気になるのが、「既に生じてしまったメンタル不調者に対する会社の対応が、安全配慮義務違反とならないか」という点ではないでしょうか。

昨日の報道でもありましたが、製薬会社S社の当時47歳男性が自殺した事件においても、

『男性は仕事上のミスが急増し、「自分は仕事が遅い」と発言していたこと等から、上司は自殺の2日前には、男性がうつ病などを発症していることを認識可能であった。男性の仕事を軽減する等、対応をしていれば自殺は防げた可能性が高い』

と裁判所は判示したとのことです。まさに、メンタル不調者にどのように対応すべきかが問われています。
(判決文を読んでいないので詳細はわかりませんが、仮に報道された通りだとすると、自殺の2日前に発症を認識したとして、仕事量を減らせば自殺が回避できるものなのか個人的には疑問です。そのような自殺が切迫した非常に悪い病状であれば、仕事を減らすうんぬんではなく、即刻仕事から離れ、家族に連絡しすぐに病院受診・入院をしなければ自殺は回避できないようにも思いますが…。)

 

そこで4つのケアと、安全配慮義務の関係について考えてみたいと思います。

4つのケア

まずは、4つのケアについておさらいです。

①セルフケア  

労働者自身による、  
・ストレスやメンタルヘルスに対する正しい理解
・ストレスへの気づき
・ストレスへの対処

➁ラインケア

管理監督者による、
・職場環境等の把握と改善
・労働者からの相談対応
・職場復帰における支援

③事業場内産業保健スタッフ等によるケア

産業医等の保健スタッフによる、
・具体的なメンタルヘルスケアの実施に関する企画立案
・個人の健康情報の取扱い
・事業場外資源とのネットワークの形成やその窓口
・職場復帰における支援

④事業場外資源によるケア

・情報提供や助言を受けるなど、サービスの活用
・ネットワークの形成
・職場復帰における支援

安全配慮義務上、最も重要なのはラインケア!

安全配慮義務を履行する上では、上記の4つのケアすべてが重要であることは言うまでもありません。

しかしこの中でも、安全配慮義務の観点から特に重要であると私が考えるのは、ラインケアであり、その中でも特に、「管理監督者が労働者からの相談を受け、または不調に気付いた場合に、確実に産業保健スタッフ等へ繋げる」ことです。

なぜなら、これが機能しなければ、どんなに素晴らしく優秀な産業保健スタッフ・事業場外資源をそろえても、メンタル不調者がそこまで繋がらず、職場で放置され病状を悪化させる事態となりかねないからです。

管理監督者が、部下の不調に気付くには、いつもと違う様子に早く気づくことが重要です。
例えば、それまで遅刻をしたことがなかった部下が遅刻を繰り返したり、無断欠勤をしたりする、仕事の効率が落ちている等です。これらが見られたら、管理監督者は一人で抱え込まず、医療の専門職である産業医等に繋げるようにしましょう。人事部等に相談して指示を仰ぐのも良い対応と言えます(人事部等が産業医との連絡窓口になっているケースが多いですし、また、遅刻・欠勤は人事マターですから)。

ただ、繋げたところで、産業医が名義貸しであったりメンタル対応ができない等、産業保健スタッフが機能していないと意味がありませんので、そこの体制整備をしっかり行うことも企業にとって重要です。

なぜ安全配慮義務上重要か?予見可能性との関係

安全配慮義務違反となるには、結果(=病気、自殺等)に対する『予見可能性』が必要になります。

「予見可能性がない」とは例えば、会社での様子は全く元気で、一緒に働く誰もがメンタル不調があるとは気付かなかった人が、うつ病になってしまった場合が挙げられます。その場合には、一般的には(長時間労働等をさせていなければ)、安全配慮義務違反とはなりにくいと言えます。

一方、管理監督者(又は一緒に働く同僚)が、本人の不調に気付きながら、産業保健スタッフ等に繋げていない状態は、『結果に対する(=うつや自殺に繋がってしまう)予見可能性』があるのに、なんら適切な対応をしていない状態であり、非常にまずいと言えます。

私が過去に経験した事例では、メンタル不調の症状が出ている労働者が、上司に診断書を提出したにも関わらず、その上司は自分のところで診断書を止め誰にも報告しておらず、その労働者が休職してはじめて、診断書が出ていたことが発覚したことがありました。その会社には、診断書が出た場合にはどうするかという統一ルールが無かったのです。『診断書がでている=思いっきり予見可能性がある』ですので、このような対応は非常にリスキーと言えます。

このような事態を避けるためには、

①管理監督者に対し、部下の不調に気付くためのラインケア教育を行う

➁部下から相談を受けたり、不調に気付いた際の対応方法(産業保健スタッフに繋げるための窓口へ報告する等)を周知する

最低限、この2つは必須であろうと思われます。

ストレスチェック制度が始まり、検査を実施することや医師面接を行うことばかりに気を取られがちですが、ストレスチェックは職場におけるメンタルヘルス対応のごく一部に過ぎず、上記のような基本的な体制をしっかり整えておくことも重要なのです。

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